「ゲーフリと任天堂ってどういう関係?」
「株ポケとはまた別なの?」
ポケモンをやってると目に入るのがこの3つの会社。
ポケモンってゲーフリだよな…でも任天堂のモノっぽいし、じゃ株ポケは…?
と結構混乱しがち。
ということで今回はこの3社の関係をまとめてみました!
解説ポイントまとめ
- ゲーフリは独立した一企業
- 株ポケはゲーフリと任天度出資の会社
- 任天堂もポケモンの権利を持ってる
この辺りをまとめました。
長年モヤモヤしてた人はその歴史を一緒に見ていきましょう!
ゲーフリと任天堂ってどんな関係?
両者の関係を一言で言うと、
両者の関係性
というものになります。
いわゆる株ポケを作る際に一緒にお金を出した間柄ということですね。
他にクリーチャーズというポケモン関係の会社の3社で出資して設立、経営しています。
これがクリーチャーズ。
最近では新作のポケカアプリの製作も請け負っていました。
そして株主も任天堂、ゲーフリ、そしてクリーチャーズの3社で分割。
ということでポケモンの権利自体も3社で分割して持ってるということですね。
Q:株式会社ポケモンってゲーフリとは別なの?
A:別です。
株式会社ポケモン(通称株ポケ)はポケモン全般の管理、運営をするためだけに作られた会社です。
ポケモン関係の事業
- カードゲーム
- アニメ
- グッズ販売
- タイアップ・コラボ
ポケモンってゲーム以外にも色々ありますよね。
それらを全てまとめて管理するための会社ということ。
任天堂はもちろんゲーフリもポケモン以外の仕事を色々やってるんですよ。
こちらはゲーフリ製作のリトルタウンヒーロー。
それぞれがやっていては追いつかないので専用の会社を作ったというわけです。
Q:ゲーフリって任天堂の子会社じゃないの?
A:違います。
ここで勘違いしがちなのが任天堂の子会社じゃないかという点。
これは上の関係を見てわかるように違います。
増田Pも直々に否定。
任天堂からしか発売されてないので勘違いしがちですが独立した一企業なんですよ。
どこからも出資されてないゲーム会社で、
独立したゲーム会社
- コナミ
- セガ
- カプコン
この辺りと同じ扱いということ。
なのでポケモンをプレステで発売することも可能。
…かと思いきやそれは不可能。
上で触れた株ポケの共同出資があるからです。
ポケモンの権利を任天堂も持ってるので実質任天堂ゲーム機の専売ということですね。
ゲーフリは任天堂のセカンドパーティ
なのでゲーフリの位置づけとしては、
任天堂のセカンドパーティ
というものになります。
セカンドパーティというのはゲーム機を販売する会社の関連するゲームを作ってる会社のこと。
任天堂で言うと、
任天堂の有名セカンドパーティ
- ハル研究所
- レトロスタジオ
- モノリスソフト
- プラチナゲームズ
この辺りがそうです。
ハル研究所であればカービィ、モノリスソフトならゼノブレイド、という感じですね。
子会社な場合も多いですがゲーフリは特にそうならず独立してセカンドパーティの立ち位置にいます。
プラチナゲームズもこのパターンで、ベヨネッタをスイッチで発売する一方でPS4からも発売。
ニーアシリーズなどがそうです。
だからポケモンを作りながら任天堂の子会社じゃないという独特の立ち位置にいるわけです。
ゲーフリのポケモン以外のゲームはコチラ。
ゲーフリと任天堂の歴史【1983~2023】
任天堂とゲーフリの歴史は古い…
ということで年表形式で色々まとめてみました!
年代 | 出来事 |
---|---|
1989年4月26日 | 田尻智によってゲームフリーク設立 |
1989年6月27日 | ファミコンでクインティ発売 |
1990年 | カプセルモンスターズの構想開始 |
1991年12月14日 | ヨッシーのたまご発売 初めて任天堂と関わる |
1996年2月27日 | ポケモン赤緑発売 |
1998年4月23日 | 株式会社ポケモン設立 |
1999年11月21日 | ポケモン金銀発売 |
2000年10月 | 株ポケでポケモンのライセンス事業開始 |
両者がどう知り合ってどう関係していったのかが何となくわかると思います。
ゲーフリ設立から任天堂のセカンドパーティへ【1989~1991】
ゲームフリークが設立したのは平成元年の1989年。
ポケモン生みの親の田尻智氏が同人サークルとして立ち上げました。
そしてその2か月後には初製作のゲームとなるクインティを発売。
このクインティはなんとファミコンの開発キットを使わずに作ったというんだから驚き。
そしてその翌年の1990年にはポケモンの原型となるカプセルモンスターズの構想が開始されます。
かなり長い間考えられてたゲームだったんですね。
ただ発売までに時間がかかりすぎたためその間の利益がなくなってしまう…
ということで現れたのがこのお方。
https://news.denfaminicogamer.jp/manga/190328a
今は亡き任天堂のヒットメーカー横井軍平氏です。
彼に依頼される形としてポケモン発売まで任天堂関係のゲームを開発することに。
いわゆる繋ぎとしてのゲーム開発、のはずだったのですが…
作られたのがオールドゲーマーにはなじみ深いヨッシーのたまご。
これがなんとファミコンで175万、GBで312万本の大ヒットをかまします。
この辺りから任天堂によるゲーフリへの評価が上がっていったのではないでしょうか。
この任天堂との初仕事のチャンスをしっかりつかんだことが後のポケモン発売へとつながっていきます。
ポケモン発売&大ヒット【1996~2000】
そして1996年2月にはポケモン赤緑が発売されます。
発売当初はそこまで人気ではなかったんですがアニメや口コミ効果もあって…
赤緑合計で800万本以上というメガヒットを達成することになったわけです。
そしてその2年後に株式会社ポケモンが設立。
当初はポケモンの権利関係ではなくポケモンセンターの運営という目的で作られていました。
実はポケセントーキョーは1998年に営業開始。
…なんですが翌年に発売された金銀はさらなる大ヒットに!
これを受けてオファーやライセンスの管理が大挙押し寄せるようになりました。
「ゲーフリや任天堂だけじゃ処理しきれない!」
ということで専門に処理する株ポケを共同出資で立ち上げるに至ったわけです。
これが任天堂とゲーフリの関係の始まりから現在までの歴史。
ゲーフリの脅威のゲーム開発力とそれを見逃さなかった任天堂の目が光った歴史でしたね!
【まとめ】ゲーフリと任天堂は子会社じゃなくセカンドパーティ
もっと詳しく
- ゲーフリ⇒任天堂のセカンドパーティ
- 株ポケ⇒任天堂とゲーフリの共同出資会社
ゲーフリは任天堂の子会社ではない
ここまでをまとめるとこうなります。
結構任天堂の子会社だと思ってる人多いと思うんですが違ったんですね!
上で触れたリトルタウンヒーローなんかはPS4でも出てるのでとても中立であることがわかります。
でもポケモンに関しては半分任天堂のモノでもある、ということは押さえておきたい所。
なので世間で言われてる、
ポケモン=任天堂のモノ
というのはあながち間違いではないですね。
任天堂が権利を手放すとは思えないので今後も両者の関係はずっと続くでしょう。
上手い具合に連携してこれからもいいソフトを作っていってほしいですね!